「哲学」によって学校を再生しようとする試み 映画「ぼくたちの哲学教室」を観て考えた【西岡正樹】
■やられたら、やりかえす? それでいいの?
ケビン校長は哲学の授業の中で、常に「自分に問いなさい」と子どもたちに語りかけていた。「自分の中で考えが出るまで問い続けなさい」と言う。そして、「自分の考えを行動で表しなさい」と繰り返すのだ。ホーリークロスボーイズ小学校では、感情に任せた安易な行動が問題を大きくし、解決が難しくなる状況が続いていたのだが、ケビン校長はその状況を変えるには、感情をコントロールし感情と行動が直結しないようにしなければならないと考えたのだ。(それはベルファストに限らず大人社会でも同じである)
ある時、子ども同士が殴り合いのけんかをした。原因は些細なことなのだが、暴力の連鎖を断ち切りたいケビン校長は、子どもたちに問いかける。(暴力に頼り、物事を解決してきた自らの過去が、今のケビン校長を動かしている)
「殴られたら殴り返す、そんなことを繰り返したらどうなるのか。それでいいのだろうか」
すると、ひとりの子どもが、
「お父さんは殴られたら殴り返せと言っていた。やられてやりかえさなかったらずっとやられると」
すると、一息入れたケビン校長は子どもたちに再び問いかけたのだ。
「本当にそうだろうか。お父さんが言ったことは本当にそうだろうか。親が言ったことであってもやはり『問い』を持って考えるべきだと思うが、どうだろう?」
この問いかけは、教師自身に返ってくる言葉だ。「教師の言うことでも鵜呑みにしてはいけない。教師の言うことにでも『問い』を持ちなさい」。問題の解決のために暴力を手段とすることを認めないケビン校長の強い意志が、ここに表れている。それでも、ケビン校長はけっして自分の考えを押し付けない。常に自らに問い自らの考えを導き出すことを、子どもたちに求めた。
また、ある時、問題行動の多い10歳の男の子が学習支援の男性を殴った。拳で腕のあたりを殴ったようなのだが、この時の判断も日本では考えられないものだ。
ケビン校長は暴力をふるった子どもに、
「この学校では暴力は絶対に許されない。それは君も分かっているだろう。君は支援員の男性を殴った。それは許されない。君はこの学校にはしばらく来ることはできない」
と諭し、その子は停学になった。そして、すぐさま母親に連絡し、母親が子どもを迎えに学校へやって来た。しかし、男の子は鉄柵を握りしめ車に乗ろうとしない。すると、ケビン校長はまた穏やかに語りかけた。
「この後私とお母さんが話をする。君がとても反省していることを私は分かっている。君はいい子だ。悪いことにはならないから安心しなさい」
その話に納得した子どもは車に乗った。ここでは毅然とした態度を貫き通したケビン校長は、感情に流されずに、「絶対にやってはいけないことがある」ということを自らの判断と行動によって子どもに示したのだ。
ケビン校長の言動から見えるのは、強面の容貌からイメージしにくいが、ひとりひとりに寄り添い、けっして突き放さない懐の大きさなのだ。厳しい態度や言葉は子どもたちの心に突き刺さるが、ケビン校長に自分が否定されていないことが分かるから、子どもたちは反抗的な態度を見せない。自分が納得できないことを言われても不貞腐れず、ケビン校長に言葉で返していく。